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- CATEGORY谷代悠 in FUKUOKA
1974年11月からの引用

音楽をいくら聴いても
想像していたほど人間臭さなど感じないもの
ただ彼女の唄を聴き続けているのは
彼女の唄に僕の求めていた人間臭い歌があったからで
音楽そのものに人間臭さがあるかどうかは
いまだにわからないまま
とにかく彼女の声と唸り
決して豊かな音色を持つと思えない楽器から
信じられないほど深みのある音を弾き出すギタープレイ
そのいちフレーズ
いや一音一音に凄く人間的なものを感じられる
それは彼女自身が
人間に対する秀れた洞察力を
もっているかどうかの問題ではなく
彼女の見て来たもの
彼女の唄いたいものが何であったかの問題なんだろう
彼女の唄を聴いて泣くことはない
怒りを覚えることもないし
笑うこともない
そんなものとは違う感情が湧きあがる
もっとふかいところで
噴き出す

僕ももちろん足を運んだけど
あの1978年の武道館来日公演を
ディランは、よくアルバムとして残したな
よく残してくれたな
と、最近になって思う
夏の野外フェスにも来てくれて
ライブハウスにだって何回も出てくれてるディラン
最近のライブの音や
ブートレックシリーズで出てきたゴスペル期のライブなどを
何回も聴いてくと
あの日の武道館の音がとても愛おしく響きわたる
本当に唄を唄ってる人というのは
こういう人たちのことなんだな・・・と
また、足を運びたくなるし
耳をかたむけて
少しでも同じ時間を生きたいと切に思う。
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