かわえうた

会いたい人は海の向こうでも空の向こうでもないところにいるのだ。 minako kawae

0603 谷代悠:御縁屋二階店~岩(ROCK)~ 

2017年6月3日
天神親不孝通り 御縁屋二階店
 『歌酒』うたげ

ghyu

<出演者:登場順>
■ワタアメほなみ
■谷代悠
■やなっしー
(with Ds&店長)

悠さんが自分のステージのMCで盛んに気にしてたけど
アーティスト名、ユニット名、グループ名っていうのは
大事なもんだな・・・とつくずく。



ioku

■谷代悠
一つの岩の塊りが風に揺るがないように、
賢者は非難と賞賛とに動じない。
深い湖が、澄んで、清らかであるように、
賢者は真理を聞いて、こころ清らかである。

   「ブッダの 心理のことば/第六章・賢い人」より

今夜もいつものように靴をぬいでステージへ
4月のライブもこの2曲で始まった、
実に荒っぽい(もちろん良い意味で)手慣らし&自己紹介的な曲から
今夜もスタート。

1.ぐらり、
2.フライングスペース


hyu

始まったとたんに、カウンター席から窓際の席に移り、
音は聞こえないけど町を行き交うひとを眺めながら、
ゆっくりとアレコレ考えながら聴きたくなった。
生まれ故郷から遠く離れた福岡で、
窓外を見て愛すべき音色に身を委ねるというのはホント幸せ。
悠さんの音楽は、ボケーっと何処かへ連れて行かれそうでいて、
油断していると突然こっちの意に反してグイッと呼び戻される瞬間がある。
それが決して女の子の甘えやワガママではなく、
本能の呼び声であるところが動物的。
ただ決してペットではなく野生が残っていて、
そこには「悲しみや痛さは決して見せまい」とする生まれながらの防衛本能がある。
それは人間として生きて行くには弱くもあるけど強烈な強さになる。
やっぱりブルースなんだ。


3.生きています

bhu

泣いたり苦しんだりすることが生きることだから、
シンガーソングライターは自分に正直に唄おうとすれば、
明るい曲なんてそうは作れないし唄えない。
地を這うようなメロディーの中から
一瞬とてつもなく美しいフレーズが溢れ出てくる、
初期のニール・ヤングの名曲のような名曲。



4.近況
5.17:59


前曲からのこの3曲の流れが今夜のクライマックスでした。
どれもホントにワクワクするような良い曲。
こういう形での洋楽や昔の曲の解釈は、
実はなかなか出来そうで出来なくて、
寂しさや孤独と勘違いしてカッコ付けて叫んでいる人はよくいるけど、
しっかり体内に吸収して血となり成功している人は意外に少ない。



dgt

6.それはスポットライトではない
「IT'S NOT THE SPOTLIGHT」

古いファンはキャロル・キングのパートナーの名曲として
若いファンはルイーズで聴いてるかも知れない。
1970年代アメリカ音楽のファンはバリー・ゴールドバーグの名盤の1曲として
ディラン・ファンはそのアルバムのプロデューサーとして
僕はやっぱりロッド・ステュアートの「アトランティック・クロッシング」
でも、悠さんが持ってきたのは浅川マキのカヴァーバージョン。
「光について」のこんな曲を悠さんのカバーで聴けるとは思わなかったので、
もうさすが!というか嬉しくて泣きそうでした。

今はもうアングラは、アングラでも何でもないけど、
かつてアングラがアングラとして需要に対応出来ていた時代があって、
今また、アングラでなくなったアングラの代わりが本当に必要な時代なのに、
いい大人たちがそれを隠して独り占めして
「若者たちには食わせないぞ」と言ってるような時代なんだな・・・
と気づいた。
ちょっとスッキリ。


ooow

7.動き
珍しくフィンガーピッキングの出だし。
途中からピックをつまんで走り出し、最後には高く飛び立つような曲。
エンディングにデュアン・オールマンのスライドが5~6分あっても
何の不思議もないような美しい曲。


悠さんのライブで7曲も聴いたのは初めて。
さすがにイロイロなものが見えて来たし、
特に後半はボーカルも含めた演奏の安定感がグッとアップして
実にドラマチックな30分強でした。
爪がボロボロに砕けた影響か?後半はちょっとおとなしめだったけど、
徐々に温まって来る血の熱さみたいなもんがあって、
今夜は唄わずとも「マグマ」が7曲の繋がりの底にゆったりと流れていました。





sder

帰り道
今夜は今までで一番の「谷代悠」だったなあと考えながら
どこかで今の自分のこの気持ちを「別な人の文字で見たな・・・」と思い
岡本太郎であったことはすぐに思い出したんだけど
そこからがちょっと難儀でした。

ert

ぎりぎりに哀愁をぬりこめた、歎き、訴え。
それは叫びの極限まで、いのちを振りしぼったという感じだ。
役人に追われて逃げる若い女が、
悲しみのあまり石になってしまったという伝説を聞いたが、
歌い手がもうちょっと叫び、歎いたら、
そのままほんとうに石になってしまうのではないか、
とふと戦慄するほど、迫ってくるのだった。
だがそれは、
にもかかわらず全体にのびやかな諧調を失っていないから驚くのだ。
悲哀を絶叫しながら、ゆるやかに流れる。
それが本当の音楽なのじゃないか。


     岡本太郎「沖縄文化論~忘れられた日本」より


「それはスポットライトではない」

もしも光が 
またおいらにあたるなら 
それをどんなに待っているさ
ずっと前のことだけれど 
その光に気づいていたのだが 
逃しただけさ
だけどふたたび 
いつの日にか あの光が 
おいらを照らすだろう

あの光 そいつは古びた街の 
ガス灯でもなく月明かりでもない
スポットライトでなく ろうそうの灯じゃない 
まして太陽の光じゃないさ
あの光そいつは あんたの目に 
いつか輝いて みたものさ
またおいらいつか 感じるだろうか 
あんたは何を 知ってるだろうか

It's not the spotlight
It's not the candlelight
It's not the streetlight
But some old street of dream
It's ain't moonlight
Not even the sunlight
But I'v seen it shining in your eyes
And you know what I mean

あの光 そいつは古びた街の 
ガス灯でもなく月明かりでもない
スポットライトでなく ろうそうの灯じゃない 
まして太陽の光じゃないさ
あの光そいつは あんたの目に 
いつか輝いて みたものさ
またおいらいつか 感じるだろうか 
あんたは何を 知ってるだろうか

It's not the spotlight
It's not the candlelight
It's not the streetlight
But some old street of dream
It's ain't moonlight
Not even the sunlight
But I'v seen it shining in your eyes
And you know what I mean





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